海外協力隊の真髄 一人ではできなくても二人ならできる

海外協力隊

先日、タイに派遣されている隊員と共に、小学校で日本の文化を伝えるイベントを行った。

これまで、自分から所属先に提案してイベントを行ったことが無かったので、今回初めての経験だった。

といっても、その隊員が企画したものを、自分の任地で行うために場所を調整しただけなのだが。

タイの小学校をけん玉で盛り上げる

隊員は、けん玉を子どもたちに体験し楽しんでもらうイベントを企画した。

小学校総勢53名。けん玉13個。

隊員は「子どもは他の人がやっているのを待てなくてすぐに飽きるから」と言っていた。

とてもけん玉の数が足りなかったので、子どもたちがあきないようにと事前に紙コップでけん玉を一人で黙々と60個ほど作ってきた。

これがまた、当日は子ども達のみならず、先生やその場にいた保健ボランティアにもウケた。

自分にできる事はこれくらいだったので、子どもたちが飽きないで時間を過ごせた、それはほんと良かったと思う。

紙コップけん玉をする子供たち
紙コップけん玉をする保健ボランティア
紙コップけん玉をする先生たち

当日は隊員の独壇場、自分はただただ写真や動画の記録係だった。

何より彼女はタイ語でしきり、説明、盛り上げどころを作って来ていたので、自分の出る幕はなかったとも言える。

いや、出る幕があっても用意していない言葉をタイ語で説明することは困難だっただろうが。

しかしその中でも、けん玉とギターのセッションは自分が前に出る機会だった。

けん玉とギター うさぎとかめセッション

これもまた、一度もリハーサルせず、当日チョチョッと打ち合わせてできたもので、なかなか二人ともやるなぁと自分も隊員もほめてやりたい。

子供たちはけん玉を練習し、そしてみんなの前で披露。

最後にはゲームとして、チーム対抗早けん玉入れも行った。

どれもこれも反応良好、やはりこれまで様々な場所でこのけん玉イベントを行ってきた隊員の力だろう。

でも、隊員と自分の二人がいてこそ、こので学校行えたイベントとも言えるので、疲労感もあったがこの日はすごく高揚感を持てた一日だった。

その後、文化交換ということで、小学校側からもタイに伝わるターレオという伝統編み物を子供たちから教わり、実際に自分たちで編んだ。

これでイベント終了!とおもいきや、学校からの昼食のおもてなし付き。

なんともありがたい、自分たちから提案して学校にイベントを持ちかけておいて、こんなにもてなされるとは。

一人だとできなかったであろうイベントだが、誰か隊員が加わることでその活動に大きく幅を広げられて、非常に充実した日だった。

イベントを無駄に大きくする能力

もう一つ、この活動を行う上で感じたことがある。

所属先には2か月前から、今回の活動についての打診をしており稟議書も書いていた。

もし、この学校に行くなら学校にも事前に伝える必要があるし、車で20分かかるため運転手も必要である。

その連絡がちゃんと行われるのかと言う一抹の不安を最初から抱えていた。

2週間前になった頃、所属先のカウンターパートにこの活動の話をしたら、そこからようやく学校に連絡しようとしたのだ。

日本であればあまり考えられないことだろう、2週間前に小学校に連絡して授業を削って外部から来た者の活動を割り込む、何てことは遅すぎると思う。

ただ、一年この環境を見てきたので、自分はこの状況は想定済みだった。

1か月半前には、学校の校長代理へ自分で連絡をし、活動の内容と希望の日にちを確認しておいたのだ。

これくらい根回しをしておけば、あとは当日の運転手さえいれば何とかなる!

そう思っていたが、1週間前、急にカウンターパートに連れられて行ったのは学校がある自治体の事務所で、そこで自治体長に挨拶、活動予定の内容を伝えることになったのだ。

最初、病院と学校間のやりとりだけでいいのでは?と思ったこの活動だったが、カウンターパートは当日自治体長も学校に呼び、盛大なイベントに仕立てたのだ。

よく言うと盛り上がったと言える。ただ、違う捉え方をすると、日本人ボランティアの派遣を打診したからこそ、この学校での活動ができているんですよという、病院から各所へのアピールにも見えた。

もしかしたら、調整の段階で感じた不安は余計だったのかもしれない。自分が知らないだけで、2週間前に連絡をしてもどうにでも授業内容は変えられたのかもしれない。

でも、これまで日本で生きてきた中で、そんな調整は自分には不安でしかなかった。

なんか病院に手柄を横取りされていないか?なんて、1年いるとだんだんひねくれた解釈も出てくる自分が悲しくもある。

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