幼いころから拗ねていた。
ちょっと嫌なことがあったら、もういいやと人への期待を諦め、その場でやるべきことも諦めた。
そうやって生きてきた。
拗ねていたら、誰かが手を差し伸べてくれると思っていた。
しかし、現実はそんなに優しくない。
小学生の頃からわかってはいたが、たぶん自分が可愛かったのだろう。
少し傷ついた心を癒すには、拗ねる事だった。
そうして自分の心を落ち着けていたのだ。
同僚に忘れられて置いて行かれた日

前日に隣町で会議があると同僚に聞いた。
その会議で同僚が発表するのだそう。
私は「行きたい」と言った。
ただ、どのように隣町まで行けばいいのかがわからなかった。
同僚に問うと、「明日行くときに電話するね」とのことだった。
当日の朝、自分の席で待ったいたが、待てど暮らせど連絡がない。
彼女のいる部屋に行ってみるも、鍵がかかっていて暗い。
そこでまず“置いて行かれた”と察した。
これまでも何度も他の同僚からそういう仕打ちがあったからだ。
いままでの自分であれば、「また置いて行かれた」と思い、拗ねてその日は会場へ行かずに悶々と過ごしていただろう。
しかし、前日話した彼女はこのタイ生活のなかで最も信頼する同僚である。
このまま置いて行かれた事実だけが残ったら、彼女への信頼していた気持ちが崩れてしまう。
彼女に電話してみた。
すると、彼女は「病院から送迎車を出すからそれで行って」とのこと。
紆余曲折あったが、とりあえず、隣町の会場へたどり着くことはできた。
しかし、事実はどうなのか?彼女は私を忘れて置いて行ったのか?という疑問が残った。
事実はこうである。
前日話した私が最も信頼する彼女は、直接現地入りしていた。最初からそういう予定だった。
私が、当日一緒に行く予定だったのは、また別の同僚だったのだが、その同僚が私の事を「忘れて」「置いて行った」のである。
私が最も信頼する彼女は、別の同僚にあらかじめ「一緒に行ってね」と頼んでくれていたのだそう。
ちなみに私は、当日別の同僚と行くことは全く聞いていなかった。

海外生活で生まれた考え方の変化

これまでなら腹を立てて拗ねていただろう。
しかし、1年半この環境で生活していると、こういうことは起こるものだと悟れるようになるし、腹も立たなくなる。
なんとか、その会議に参加し同僚の発表を聴くことができた自分を褒めてやりたいとさえ思う。
海外で生活すると、気持ちの変化が生まれるのかもしれない。
異文化を感じ、考え方の違いを感じ、マイノリティとして暮らす。
そんな環境の中で、より寛容になれた自分がいる。
より鈍感になれた自分がいる。
会場についてから、「置いて行かれた」事実を当日一緒に行く予定だった同僚と話したが、彼女らが謝ることはない。
日本ならまず、「すいません」だろう。
これまでの自分なら「すいません」の言葉を期待していたが、もうそんな期待はしない。
ただ、この日会議に参加できて、同僚の発表を聴けて、タダで豪華なランチを食べれたという事実で満足しよう。
拗ねてもいいことはない。
結局、私が最も信頼する彼女への信頼が深まったのもまた事実である。

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