海外協力隊として2年間を完遂して思う事

海外協力隊

2024年2月13日をもって私のJICA海外協力隊生活は終了した。

終わりよければすべてよし

2年間を振り返るには時間がもう少し必要だ。

色々な経験ができたし、色々考えさせられることも多かったし、もう少しできたかなと思うこともあったし、出会ったタイ人にまた会いたい気持ちもあるし。

日本に帰って来て4日が経った。

一言で言うと、この海外協力隊生活は「終わりよければすべてよし」だと思う。

任地での最後の2週間くらいは、同僚が非常に優しくしてくれて、旅行に連れて行ってくれたり、ご飯に連れて行ってくれたり、おごってくれたり。

今までほとんど接点のなかった人たちが優しくしてくれるのは、タイ人の特性なのか!?「最初」と「最後」に特に優しさを感じたのだ。

これは、タイに行った旅行客が「ほほえみの国」と感じるゆえんだろう。

初めて会った時に優しく帰り際に優しいのは、旅行客にとってなんとも嬉しいものである。

タイ人のこういう性格は、観光事業を行う上で優位なんだろうおそらく。

タイの最終日と2年ぶりの日本へ足を踏み入れた瞬間

任地での活動を終え、最後の5日間は首都バンコクで過ごした。

帰国報告や新たに派遣された隊員達との食事会、これまでお世話になったタイ事務所スタッフとの食事会などいろいろあったが、やはり同日にタイに来たメンバーで過ごすタイ最後の日は感慨深かった。

同日にタイにやってきたのは、自分も含めて4人。

これまで4人で過ごす時間はほぼなかったのだが、最後だからと30階以上のビルの上にあるフレンチで食べた食事。

その後のカラオケ。

2年間を締めくくるのにこの上ないいい時間となった。

この海外協力隊に参加しなければ絶対に出会うことのなかったであろうバックグラウンドを持つ人たち。

年齢も、出身も、職業もバラバラだって、海外で2年間健康で暮らすことを成し遂げた人たちだけが分かち合える景色を感じて嬉しかった。

いろんな思いを胸に、いよいよ2年ぶりの日本へ帰って来たのだが、羽田空港に着いたその瞬間、「あー帰ってきた」なんて感傷に浸ることはなかった。

自分でも不思議なのだが、その瞬間からもう日本での日常がスタートしていて、タイにいたことははるか遠い昔の話のような、日本を歩くことに何の違和感も感じなかった。

3日経って思うのは、タイに居た時だって日本の情報を逐一知ることはできたし、動画を観ればいつでも日本語に接することはできた。

この簡単に世界の情報を得られる時代だからこそ、「空白の2年」のような浦島太郎状態に陥ることもなくちょっとした旅行とそん色ない感覚なのかもしれない。

もしかしたら、今後、タイの2年間の経験を語っていくことで、いろいろ感じてくるかもしれない。

ただ、せっかくできた住んだ地域のタイ人との関係は忘れることのないものである。

タイ人の友人と呼べる人ができたことは誇らしいし、日本以外に気にかける国ができたことはこの2年間の財産である。

つまり、大人からでもいろんな意味で世界が広がる、海外協力隊に参加することは人生に1度はあっても良いという事である。

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